体の もともとの チカラを 活かす              
 
                                www.seitaijyo.com  
        


 
 
 

   
 
 
  
◆整体指導者として大切なこと。

整体指導者として大切とされていることについて お話しするのもいいのかなと思いました。というのは、お伝えすることによって、整体法というものか、どういうものなのかを感じていただけるかも、しれないからです。

・デジタル的な観察と、臨床的直感。
背骨と調律点の観察を重視することはお伝えしました。これらはいうなれば、デジタル的な掌握のしかたです。ここがこうなっていればこういう可能性があると先人の経験と知恵によって、体系づけられていることです。

しかし、整体指導者は、観察と同時に、臨床的な直感を大切にしなければならないとされています。「なぜかここが気になる」「いやな感じがする」という印象、感覚です。

デジタル的な観察を直感と照らし合わせて確認します。また直感をデジタル的な観察と照らし合わせます。一回の操法の中で、何回もこの照らし合わせの行ききをします。この両方が重要とされています。また、ここにおからだからの反応を感じることも加わります。観察←→直感、観察←→からだからの反応、直感←→からだからの反応、の照らし合わせをおこないながら操法いたします。

・生命力の邪魔をしないこと。
クライアントの方の生命力を高めること、自然治癒力を発動させることが目的ですので、その邪魔をするようなことはしません。過度にかまわれるとからだは弱くなってしまいますし、依存的になってしまいます。あまりにも余計なこと、無駄なことをすれば、負担になりかねません。生命力を奪うようなことはしません。

愉気法では、体の皮膚一枚下が動いたら手を離すのがいい、とされています。あくまでも、元気を引き出す、呼び水の役割を自認し実践することが大切です。治そう、癒そう、という意図は必要ないです。ただ相手の体を信頼していきます。なんの意図も持たない、純粋な気、ぽかんと気持ちよく晴れた空のような気をこころがけます。天心(てんしん)の気、といわれます。おそらく、治そうというような意図を持った気は、どこかでその生命に、方向づけを伝えてしまうのかもしれません。また、整体指導者の意識もどこかで伝わってしまうところがあると感じます。人は誰でも弱っているときに、弱いものとして扱われるともっと弱くなってしまうところがあります。これは決して病気や症状を軽んじるということではありません。病気や症状をしっかりと受けとめた上で、その方の生命力を信頼するところ、知っているところに立ちます。

・感覚、感受性を高める。
まず、指と手のひらの感覚です。指のはら(指紋のあるところ)を敏感にします。そうでないと、観察はできません。気を用いた、調整もできません。操法をおこなった際のからだからの反応も感じ取れません。
といいましても、特殊能力などではまったくありません。もともと人には誰でも備わっている質ですが、訓練することによって向上させます。
整体法では、整体指導者になるための、様々な訓練法があります。ひとつは、合掌行気法(がっしょうぎょうきほう)という方法です。合掌をした姿勢で手のひらから、息を吸ったり吐くようなつもりでおこないます。これを40分間40日間おこなうと、やっと人の手になれるといわれれています。手のひらの皮が一枚むけるともいわています。
また、椎骨の観察の練習の方法として、背中に座布団を乗せてする方法があります。私も、最初は座布団が乗っていてできるのかなと思いましたが、不思議なことにむしろ座布団があった方が、椎骨の観察はしやすいのです。物理的なことのみを観ているのではなく、その感じ、いってみれば気を観ているから、ということでした。気が通っていない手、指では、気をつかむことはむつかしいです。どうしても、物理的な感覚にのみに頼ってしまうことになります。講座などで、私の指のはらに触れて、やわらかいと驚かれることもあります。手の敏感さを保つことは不可欠です。日々の仕事の土台となることですので、精進は怠れないと感じます。

・心身を整えること。
整体操法の観察も施術も、繊細な感覚を研ぎ澄ましておこなうことなので、自分が整っていないと、おこなうことができません。からだを整えるのはもちろんですが、こころも整えておく必要があります。ざわざわしていたりイライラしていたのではおこなうことはできません。リラックスしつつ、集中している状態をこころがけています。スポーツ選手と似ているのかもしれません。ひとが自分の力を発揮しやすい状態といえます。できうる限り心身を整えるようにしています。


・自分個人としての人生を充実させること。
自分の人生に不足感を持っていると、人の人生に入れ込みすぎて、バランスを失います。いい意味でプライドといいますか、誇りを持つことは大切ですが、人のおからだの施術をさせてていただくということに、あまりに自らが依存してしまうと、相手の方にとっても役立ちません。マイナスです。
頼られるのは仕事の性質からいって自然なのですが、こちらが頼られることに依存してしまうとよくないので、自戒するところです。そこに過剰に自己価値を置くことは戒めなければなりません。どこまでも生命力をより発動させる、援助する脇役に徹する必要があると感じます。施術の主役は、クライアントのおからだであることを知っている、いつも認識しているのは重要なことと感じます。